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Categories : Art

次世代のコントローラ:Lemur

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 Jazzmutant社というフランスのベンチャー企業が『Lemur』という一風変わったコントローラーを発売した(参照)。ちょっと前にCycling '74のサイト内で目撃して、「おおついにこういうのが出るのか!」と期待したものだが、ついに発売となったようだ。今月のサンレコの記事にもこれをあつかったものが二つもあるくらいだから、やっぱ注目されているようだ。
 『Lemur』とは何かというと、「コンピュータでGUIのレイアウトやコントロール部の挙動に関するパラメータまで編集できて、それをタッチパネルディスプレイに映し、それ(ら)を直接触ってコントロールすることができるコントローラ」だ。データ通信にはOSC(参照)というプロトコルを採用していて、MIDIのように音以外もコントロールできるし、LAN接続で高速、さらにFlashをコントロールする事も出来るらしい、つかPHPも(どいうこと??)。ただマルチタッチセンサという独自の技術を使っているため、「Fader」「Area」といった画面に表示される『Lemur』オブジェクトの開発は簡単ではないようで、粗悪品を生み出さないためにその開発環境を非公開にしているらしい、ちょっと惜しい気がする。
 でもこうやって、デジタル環境の出力/入力のギャップはどんどん埋まってくのかなぁ。未来がどんどん近づいてる。インタフェースの進化っておもろいよなぁ、なんかワクワクする(笑)。というか、多摩美が羨ましい(参照)。
 

MY MOLESKINE 2005

MOLESKINE.LEE.jpg

 4日、渋谷のタワーレコードに行くと7階で『MY MOLESKINE』エキシビジョン2005をやっていた。
 写真はSONIC YOUTHのLee Ranaldoの作品。風景画が多かった。
 

"Music For Saxophone and Harmonium" + "Visions in Time"

 今日は日曜日らしい過ごし方をした。午前中は銀座に『TDC展』を見に行ったが、日曜日は休館ということで・・・。しょうがなく歩行者天国をぶらつく。しかし、これが最高の天気でなかなか気持ち良かった。
 その後、徳永君のライヴを見に高円寺へ。場所は「前衛派珈琲処 Matching Mole」というマンションの一室がカフェになっているスペース。店内は十数名の観客や演奏者で身動きが取れなかった。無力無善寺なみにせまい・・・。今日は直嶋岳史君の作った曲を二人で演奏していた。アルトサックスとハルモニウムの和音を尺中決められたポイントに淡々と配置していくストイックな演奏。音楽における演奏者の個性を排除する、というのがコンセプト(と理解したんだけど、違うかも)。彼らの後にラップトップのyui onoderaさん、フィードバックの吉村 光弘さん、ベースのTamaruさんという顔ぶれ。音響的にもスペース的にもちょっと微妙だったかな・・・という感想。
 最後に、ちょうど今日から始まった『武満徹 ─ Visions in Time』展を見にオペラシティへ。18時を回っていたので半額料金で入れた。しかし、1時間で見るにはちと量が多かった。展示の中にジョン・ケージやマン・レイ、パウル・クレー、ブルーノ・ムナーリといったビッグネームの作品や、武満氏自身の絵画、譜面、映像や音楽などいろんなジャンルにまたがっていておもしろい。杉浦康平さんとの共作「CORONA For Piano」が見れたのが嬉しかった。昔の音楽祭のポスターやなんかも多数それえられていて、どれもすごくかっこいい。図録を買わなかったことを帰ってから後悔した。

takemitsu2006.jpg

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77 million paintings / Brian Eno

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 ブライアン・イーノ先生の最新DVD作品『77 million paintings』が届いた。といってもこの作品、本体はPC/Mac用のソフトウェアなので、普通のDVDプレーヤでは見られない。データとして収められた大量のイメージや音声をソフトウェアがランダムに選択し合成していく作品だ。即興的とも言えるのかもしれない。デジタル記録メディアは高度な再現性以上のなにものかにもなり得るということかな。始まりはあるが終わりのない作品。とても今日的な感じがして、アートの一形態としておもしろい。「この世にはデータベースとシステムしか存在しない」と誰かが言っていたが、そんな感覚を抱かせる作品だ。壁掛けPCでもあれば、ずっと流していたい。めっちゃ催眠効果あり。パソコンがスリープするか、自分がスリープするか。



テレビは:
速すぎる
遅すぎる
暗すぎる
明るすぎる
派手すぎる
地味すぎる

現在のテレビの持つ真義ではなく、その真義の裏側を仮定してみる

テレビとは光をコントロールするためのもの
イメージとはコントロールされた光の一部
物語はイメージの一部

テレビとは光の最適な動き
テレビを光のエンターテイメントと考える

情報と刺激とは切り離せない

「エフェクト」をテレビに追加されたものとして考えるのはやめよう

現在は端にあるものも、いずれは中心となる

意味から入るのはやめよう
後に明らかになるものなんだ

未来のテレビは単純な機器で造られ
低予算で
資格のない人々によって
悪趣味なものになるだろう

自分の好きなように整備すればいい

テレビはシネマの代わりに創られ、そしてシアターの代わりとして成長した。教養、連続性、そして物語が結合したシアター特有の価値は、今日までテレビ文化を支配してきた。シアターの特徴的な映像空間は小さなスクリーンになっても損なわれてはいない。

テレビについて他の見解があるとしたら?20世紀後半の絵画であるとは考えられないだろうか?これまでのテレビにおける短い歴史の中で試されてきた可能性を除外する必要はないんだ。むしろ、テレビは現在の新しいビジュアル・カルチャーの中心であり、歴史的に見ても素晴らしい考案であることを再評価する必要がある。

ブライアン・イーノ、1991

ライナーノーツより

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尺を拝借

> 映画とポッドキャストのマッシュアップ / 秋元@サイボウズ研究所プログラマーBlog

 NAPSTARに始まり、最近はYOU TUBEなんかで問題になっている著作物の違法なコピーや配布、公開。簡単にいうと技術的な進歩に法が追いついていない状況。そのあたりのことに関しては、いろいろと議論されているし僕も思うところはあるのだけれど、まだあんましまとまっていないので置いておこう。で、この記事で紹介されている「Rifftrax」のような手法は、こうした現状の中で生まれている新たな動きだと思う。分かりにくいかもしれないので、もうひとつ例をあげてみる。

> Podcast向井 / bounce.com

 こちらは日本語だし、時間も短いのでぜひ聞いてみるといい。簡単に説明すると、パーソナリティの 向井秀徳氏がある曲をヘッドホンで聴きながらリアルタイムに解説をすると言う試み。ポッドキャストを聞いている人には向井氏の「あぁ、このカッティングたまりませんねぇ」「うーん、そうぅそうぉう」などといったつぶやきだけが聞こえる。原曲を知っていれば思い出しながら、全く知らないなら完全なる想像で、どちらにしてもリスナーは想像力を働かせて向井氏と音楽を共有する。もちろん、もっていれば再生しながら聴けばいいんだけど。

 受信者は配信者と同じ指示作品(著作権で固く保護されている)を、自らの想像力や合法的な手段で共有し、そのことによって(あるいはよらなくても)配信されるコンテンツそれ自体を楽しむことが出来る。もともとは前に書いたような状況下での苦肉の策かもしれないが、考えてみるとこれがとてもおもしろい。というのも、これは新手のリミックス手法とも捉えられないだろうか。これらの作品(??)は、もととなっている映画や音楽の尺(時間軸)の部分を抜き出して、その上に全くオリジナルな創作物を配置している。「タイミング」すら作品の一部だと捉えれば、これは立派なリミックスということになるんではないか。どうだろう。

聴音夜(YouTubeのばか)

あぁ、だめだ。今夜は不覚にもYouTubeの餌食になってしまった。

こんなんや


<解説>
matthew herbert big band live part 1
マシューハーバードさんのビッグバンド。楽しいね!
(part2はこちら)

こんなん


<解説>
Battles — B + T
バトルズさん。かっこいいね!

はたまた、こんなシリーズまでみつけてしまい。
(アンフォーマルミュージシャンのインタビュー特集がいろいろ落ちてた)



<解説>
No Input
No Input Mixingboardの特集。Sachiko.Mさんと中村としまるさんのインタビュー&ライヴ映像(ちょこっと吉田アミさんも)。
☆印象に残った言葉☆
「私は演奏してるんじゃなくて、聴いてるだけなのよ」by Sachiko.M
「コントロールできないというリスクがあるから演奏になるんだ。チャレンジがないと演れない」by 中村としまる



<解説>
Keith Rowe - Prepared Guitar
キースさん、歳だねぇ。でも、すごいよ。
印象に残ったことばは聞き取れず、なし。



<解説>
The Many Moods Of Otomo Yoshihide
☆印象に残った言葉☆
「カンフー映画のように演奏した」
「映画と音楽の中間、音楽と日音楽の中間、作曲と即興の中間、いつも何かと何かの中間にいた」

*そうだよ、僕たちは音楽に一体何を求めてるのかな?


こういうの?


<解説>
ATAK008(Keiichiro Shibuya + Norbert Moslang + Toshimaru Nakamura)
「肘をつく音楽家」


それとも、こういうの?


<解説>
Masonna - god of noise
「身体から音を搾り出すマゾ」


・・・

嗚呼、時間が幾らあっても足りんぞ!!

【帰郷日記】湯田温泉

今夜は千葉の自宅から投稿だ。実家からは今日のお昼にポケモンジェットに乗って帰ってきた。

昨日、中原中也記念館に行ってきた。実家から近いので逆に行く機会がなく、でもいつか行こうと思っていた場所だ。中原中也は母校の大先輩でもある。一昨日対が命日だった僕の祖父も同時期に同じ学校に通っていた。端正な顔立ちをした医者の家の長男坊はいつも「ハイカラな格好」をしていて「目立つ存在」だったらしい。
小雨の降る昼下がり、打ちっぱなしの記念館に僕は初めて足を踏み入れた。館内は雨音も聞こえず静かだった。直筆の原稿や手紙、生涯を一望できる年表などを順に見ていった。上京するためにわざと成績を落として中学を退学したことや、弟たちとの死別、失恋、子供の死、病、かなわなかった帰郷、いままで知らなかった中也の人生をたくさん知ることが出来た。それに、「中原中也・詩の情景/絵画の情景 あゝ?―山根秀信」という企画展も、とても良かった。静かなトーンで描かれる風景が、心にしみこんできた。よく見る景色が、全て夢の中の景色に変わってしまったような変な感覚に陥る作品だった。小さな記念館で、人もそれほど多くなかったので館内を行ったりきたりしながら見て回った。外に出た頃には雨は上がっていた。


夜、昔からの友人たちが集まってくれた。皆翌日は朝から仕事なので、ほどほどに呑んで足湯を巡った。湯田で呑むときの、お決まりのパターンである。湯田温泉には足湯が全部で5箇所あるのだが、そのうち4箇所を回った。来年は、最後の足湯にも行ってみたい。

「帰郷日記」の最後は、この「帰郷」という詩を引用しよう。中也の詩には、いつも心の根っこをぎゅうっと捕まれる気がする。

帰 郷   中原中也


柱も庭も乾いてゐる
今日は好い天気だ
    縁の下では蜘蛛の巣が
    心細さうに揺れてゐる

山では枯木も息を吐く
あゝ今日は好い天気だ
    路傍の草影が
    あどけない愁みをする

これが私の故里だ
さやかに風も吹いてゐる
    心置なく泣かれよと
    年増婦の低い声もする

あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ

JEROEN KOOIJMANS

http://www.jeroenkooijmans.com/

JEROEN KOOIJMANSという人のサイトが面白い。オランダ人アーティストのようなんだけど、サイト上にコンテンツが豊富にある。特に「VIDEO INSTALATIONS」にある、「PETROL SATATION」「LAUGHING FRIENDS」がいい。それぞれ、隠しカメラで撮影した運転中の人々の仕草とか、とにかく笑っている人たちの顔とかの映像をコレクションしている。説明するとそれだけなんだけど、でも実際面白いので見て欲しい。あと「SHORT VIDEO」のなかの「A SHORT RIDE」とか「PILOT」とかも、微妙な細工がなんかよかった。

*画面上のメニューはアイコンをクリックしないとサブメニューが表示されません。アイコンの周りの四角いボックスをおしても切り替わってるようだけど、サブメニューまで表示されないので注意。


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